● 逓信事業史[a17],(b42) に、「本邦に於ける上述維新当時の研究はあまりにも古い(1863、田辺、箕作の伝習)その後何らの消息はなかったが欧州大戦後に至り泰西文献に就いてひそかに研究する向きもあって、一の電信制度として利用の可能性あるのを認めたのは最近十年来のことである。即ち大正十四年五月(1925年)東京、大阪間の電話線を利用して独逸のコルン博士の発明したコルン式写真電送機で、同博士の製作した二種の写真電送機の内テレオ−トグラフによる実験をなしたのを以て本邦写真電送の最初と認むべきである。この実験の衝に当たった大内誠三技師等の努力と苦心も亦すくなくなかった。」と記載されている。
送信原版は写真製版により、薄い亜鉛板上に、50
line/inchの平行線スク−ンの幅の大、小により中間調を表現したものを作成し、これを熱処理して絶縁部分を丈夫にし、円筒に巻き付け使用する。走査は平行線スクリ−ンと45度で交わる方向に接触針で走査する。市松模様に画素を配列し、画質の向上をはかるためである。文字の場合は絶縁性インクで書いたものを使用する[a14], (8),(f1) 。
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